عن عمر رضي الله عنه قال: نُهِيَنا عن التَّكَلُّف.
[صحيح] - [رواه البخاري]
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ウマル(彼らにアッラーのご満悦あれ)は言った:「私たちは、無理に何かすることを禁じられた。」
[真正] - [アル=ブハーリーの伝承]
ウマル(彼にアッラーのご満悦あれ)は、このハディースの中で、「私たちは、無理に何かすることを禁じられた」と伝えているが、禁じた者は、アッラーの使徒(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)である。教友が「私たちは禁じられた」と言えば、それはアッラーの使徒(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)に直接結びつけられる、と捉えられるからである。つまり、「アッラーの使徒(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は私たちに、無理に何かすることを禁じた」と言ったようなものである。 「無理に何かすること」は原文では「タカッルフ」であり、それは本来ないようなことを他人の前で示そうとする、あらゆる言動のことである。 言葉の例としては、イスラームの自明な教えに依拠するのではなく、多くの質問や、調べる必要もないような不明な物事を究明する態度が挙げられる。アナス(彼にアッラーのご満悦あれ)は、このように伝えている:私たちはウマルと共にいた。彼は、その背中に4枚の布片が継ぎ当てられている上衣をまとっていた。彼は『果実、牧草も(生育させた)』(クルアーン80:31)と読むと、言った:「私たちは、果実については知っている。しかし、『牧草(原語ではアッブ)』とは何か?」それから、こう言ったのである:「私たちは、無理に何かすることを禁じられたのだ。」 一方、行為によるものとしては、以下のような例が挙げられる:泊まりに来た客人に対して過度に尽くし、返すあてもないような借金までしてしまい、結果的に現世と来世において自分自身を害するようなことをしてしまうこと。 ゆえにムスリムに無理は禁物であり、そうではなく物事においては預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)がそうであったように、中庸の状態にあるべきである。あるものを出し惜しみするのでもなく、ないものを無理に出そうともしない、そのような状態である。