أتيت رسول الله صلى الله عليه وسلم وفي عنقي صليب من ذهب، فقال: «يا عدي اطرح هذا الوثن من عنقك» قال: فطرحته، وانتهيت إليه وهو يقرأ في سورة براءة، فقرأ هذه الآية: {اتخذوا أحبارهم ورهبانهم أربابا من دون الله} [التوبة: 31] قال: قلت: يا رسول الله إنا لسنا نعبدهم، فقال: «أليس يحرمون ما أحل الله فتحرمونه، ويحلون ما حرم الله فتحلونه؟» قال: قلت: بلى. قال: «فتلك عبادتهم».
[ضعيف] - [رواه الترمذي والطبري] - [تفسير الطبري: 16631]
المزيــد ...
アディー・ブン・ハーティム(彼にアッラーのご満悦あれ)は、預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)が『彼ら(啓典の民)はアッラーを差しおいて、彼らの学者や修道僧たちを、彼らの主としたのだ。また、マルヤムの子マスィーフも(主とした) 。彼らは、唯一の神(アッラー)のみを崇拝することしか、命じられてはいなかったというのに。かれ以外に、(真に)崇拝すべきものなど存在しない。彼らがシルクを犯しているものから(無縁な)、アッラーに称えあれ。』(悔悟章31)というクルアーンの一節を読むのを聞いた。彼(アディー)は言った:「私は彼に言った:『私たちは彼らを崇拝しているわけではありません。』預言者は言った:『彼らはアッラーが合法としたものを禁じ、それであなた方もそれを禁じているのではないか?また、彼らはアッラーが禁じたものを合法とし、それであなた方もそれを合法としているのではないか?』私は言った:『はい、そうです。』預言者は言った:『それこそが、彼らを崇拝することなのだ。』」
この偉大な教友は、預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)がクルアーンのこの一節を読誦した時、その意味に疑問を持った。読誦されたクルアーンは、ユダヤ教徒とキリスト教徒たちが、彼らの学者たちや崇拝行為に専念する者たちを彼らの神とした、というものだった。それらの者たちは、アッラーが定めたものではない教えを彼らに定め、彼らはそれに従っていたのだ。教友アディーは崇拝行為が、サジダ(平伏す形の祈り)のような行為に限定されるものと考えていた。そこで預言者(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)は彼に、アッラーとその使徒(彼にアッラーからの祝福と平安あれ)が決めたことに反して、学者や修道僧たちがハラール(合法)なものをハラーム(禁止)とすること、ハラーム(禁止)なものをハラール(合法)とすることに従うのは、彼らへの崇拝行為に相当するのだ、ということを説明した。